報告者:ヤンゴン事務所 U Ye Aung
国家行政評議会(SAC)軍とアラカン軍(AA)の戦闘のために、マウンドー事務所はラカイン州における活動を停止しました。UNHCR事業の一つ、「アングモ桟橋修繕事業」は中止になり、2023年以来保管されていた州都シトウェの二つの販売業者に発注した資材は、使う目途がなくなりました。BAJはUNHCRと話し合い、資材をシトウェで活動を続けている援助団体に活用してもらうことを決め、2業者、UNHCR、援助団体間の引き渡し作業を2か月以上ヤンゴンから調整していました。しかし、シトウェではインターネットが遮断され電話も時々しかつながらないことや、社会・経済状況が悪化するなか、関係者の意向も目まぐるしく変わっていくことなどから、調整業務は難航し続けました。そこで、現場において対面で調整することを決め、シトウェに11月末から約2週間出張してきました。
私は長らくBAJマウンドー事務所で事業マネジャーを務めてきました。しかし,内戦の激化で活動中止どころか命の危険さえ迫ってきたため、今年の1月に州都シトウェを経由してヤンゴンに退避しました。なので、実のところ戦闘が切迫するシトウェへの出張は簡単には決められませんでした。
まず、12月のシトウェの全体的な状況ですが、ひとことで言って極めて不安定でした。住民の約3分の2が他の地域に避難しており、町で目立つのはSAC兵や警察官の姿ばかりでした。また開いている商店の数は大幅に減っているうえ、日用品の価格は2倍以上に値上がっていました。燃料の高騰はすさまじく、ヤンゴンで1リットル3,300 チャット(約118円)のガソリンが、シトウェでは10倍の33,000チャット(約1,180円)に達しており、市内移動のタクシー代も同様でした。市街から郊外への移動はSACに制限され、私や関係者たちが円滑に会うことを妨げていました。窃盗や強盗が横行し、徒歩で動ける範囲も限られていました。
業者に保管されている資材の中には劣化して使えないものがあったり、特殊なため引き受けを希望する団体がなかったりする状況でした。劣化資材については相当分を返金してもらうか、別の資材に代えてもらう他ありません。外からの物流が制限され、業者自身の経営も行き詰まりつつある中、複数の受け取り団体とUNHCR、および2つの業者の間の連絡調整は、現地シトウェに来てからも困難が続きました。シトウェ内でも電話が通じないため、相手のところへ直接出向かなければ話ができません。また、業者の経営者や受け取り団体の責任者はヤンゴンに避難しているため、意思決定やBAJへの返事にも時間がかかり、各関係者と繰り返し折衝しなければなりませんでした。
シトウェ到着後、毎日複数の関係者の間を移動し、折衝を繰り返した結果、約1週間ののちようやく、A社の分について関係者間の合意が得られました。その後積み込み・積み下ろしと運送業社の手配をし、12月5日までに19トンのセメント粉を紛争犠牲者の保護国際機関に、建築用鉄筋9トンを某国際NGOに、それぞれ引き渡すことができました。
もう一つの業者Bについてはさらに状況が複雑でした。BAJが買い付けた木材や砂利などを保管していたB社倉庫は市街から離れた難民キャンプ内にありました。難民キャンプに行ったりキャンプから物資を運び出したりするには、SAC軍当局の許可が必要ですが、取得はきわめて困難だとわかりました。さらに倉庫は破壊と盗難被害にあっており、BAJ資材の一部も失われているようでした。そのため、B社が別の業者Cから別の物資である屋根材や、鉄筋、セメントを買い、C社倉庫からUNHCRに運ぶことに関係者間で合意しました。年度末の管理業務があるため、私のシトウェ出張業務はここまでとし、ヤンゴンに戻りさらに現在も物資引き渡しと移動にかかる関係業務を続けています。
2023年5月のサイクロンで大破したアングモ桟橋の修復は残念ながらできませんでしたが、その物資をシトウェに残る国内避難民の支援機関・団体が有効に活用してくれることを願うばかりです。
(翻訳・加筆修正:東京事務所 大野)
●ラカイン州における事業は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)および皆さまからのご支援で行っています。
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