報告者:東京事務所 大野
2023年11月にはじまった国軍とアラカン軍の戦闘のために、マウンドー事務所はラカイン州におけるほぼすべての活動を停止しました。UNHCR事業の一つで、州都とのアクセス改善を目的とした「アングモ桟橋修繕事業」の現場からも職員は避難し、建設資材と機材は長く現場倉庫に残されていました。
戦闘は瞬く間にマウンドー郡など州北部3郡に広がり、今年4月には市街地の住民は、比較的戦闘の少ない村落部に逃れました。避難先の1つがPwint Dway村(仮名)です。
村には、大量の避難民を収容する大きな施設を建てられる土地がなく、分散して施設を準備せねばなりませんでした。また、域外からの物流が限られており、建築資材も不足していました。Pwint Dway村では、7月ごろまでに2か所に収容施設を建て、約400人が避難生活をはじめています。その後も次々に避難者がやってきましたが、土地と資材の不足が問題化していました。
8月に僧院の敷地にようやく3つ目の避難所を建てられることになり、避難民が増え続けているため2階建ての施設が計画されていました。しかしながら、村ではそのための鉄筋の入手が困難でした。これを知ったBAJは、「アングモ桟橋修繕事業は再開見通しが立たない。ならば保管している鉄筋をこの建設に充てられないか」と考えました。ラカイン-ヤンゴン-東京間の通信が困難な中、8月はじめからUNHCRと何度も話合い、ようやく9月にUNHCRの了承を得ました。また、僧侶や村の僧院委員会や長老たちと、資材の量や種類と建築計画を調整し、遠地から戦闘地域を避けて運搬する方法などの段取りに取り掛かりました。
アングモからPwint Dway村へのルートは2つあります。
距離の短い1つめのルートは、途中の橋の橋脚が雨季の洪水で損傷し、資材を運ぶトラックの重さに耐えられないかもしれません。そのためにもう一方の山道で距離も長いルートを選ばざるを得ませんでした。雨季の山路の輸送には危険が伴います。もともと路面は悪く道幅は狭いうえ、雨後にはぬかるみや落石・崩壊などが予想されるため、道をよく知り技量も熟練したトラック運転手が欠かせません。トラック運転手自体の数は少なく、内戦で居場所も定まらないうえ、電話も遮断された状況で運転手と車両を準備するのは大変な仕事でした。さらに山中の通過は、晴れの続いた後で雨が止んでいる時間にせねばなりません。
10月に入り、ようやくこれらの難題を克服してアングモからPwint Dway村に資材を輸送できました。10月8日、BAJは桟橋修繕のために保管してあった、約90本の鉄筋と数枚の合板を村の僧院の僧侶と僧院委員会に贈呈できました。
長かった雨季もようやく開けつつあります。建設が本格的に進み、避難民200人を収容する2階建ての施設が早く完成すること、そしてこのような建物自体が必要のない穏やかな日々が早く戻ることを切に願っています。
●ラカイン州における事業は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)および皆さまからのご支援で行っています。
Copyright(C)2024 BRIDGE ASIA JAPAN. All Rights Reserved.