アジアとともに生きる
覚悟をもった
BAJが生まれるまで
BAJ創設者 新石正弘は、1945年に島根県松江市で生まれる。幼い頃から正義感の強い性格であり、勉学にも励み、東京大学に入学する。全国的に学生運動が盛んだった大学在学時、国際色の強い学寮に入寮し、そこに住むベトナム人留学生が関わる留学生支援運動に参加した。それを機に、泥沼化するベトナム戦争で苦しむベトナム人や留学生を見過ごせない思いが強まっていった。
ベトナムへの支援を続けていく中で、アジアへの思いを同じにする同志たちに出会っていく。そんな仲間たちと、1993年BAJの前身となる団体「インドシナ市民協力センター」を創設する。各メンバーがラオス・ベトナム・カンボジアとの関わりが深かったため、将来はこの三国、すなわちインドシナ地域と日本とをつなぐNGOとなることを目指していた。
インドシナ市民協力センター創設直後、UNCHRがミャンマーで活動する日本のNGOを探している話が新石の耳に入る。バングラデシュ国境地域の難民帰還のため、日本製の車両やボート整備が必要、政府もアジアのNGOによる支援を望む背景があった。しかし、当時軍事政権下にあったミャンマーでの活動は、結果的に軍事政権への加担につながるとして、消極的なNGOが多かった。その中で、新石は現地視察に行くことになる。想像以上に生活インフラが整っていない現地の様子、UNHCR職員からの訴えを受け、新石は、団体名を「ブリッジ エーシア ジャパン」に改め、ミャンマーで活動をすることを決意する。
ミャンマーにおける難民帰還のため支援を進める中で、地域住民に必要なものを届けるという姿勢のもと、井戸や学校の建設、職業訓練や女性への裁縫訓練など事業内容が多様化していった。また、団体設立当初から支援していたベトナムでも、環境教育や農家の生計向上など取り組みを展開していった。
様々な苦節を乗り越えて、30年以上アジアで国際協力活動を続けてきたBAJ。
これからも、信頼と活力をはぐくみ、分かちあうアジアを目指して、機械類整備や裁縫などの技術習得や能力強化、地域発展のための環境基盤整備、農畜産業やエコツーリズムなどによる収入向上、そして、国際協力を広めるための啓発活動に取り組んでいきます。
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